真鯛の思い出
何か書き物を書いてくれ。真鯛の思い出を書いてくれ。とのリクエストがありまして、真鯛の思い出を書いてみましょう。

時は昭和50年前後、マンジュウで10kの真鯛が上がり、日本一の大きな真鯛
長崎新聞で騒がれました。
それから間もなく、タカの船着きで11.4kが上がり、これも日本記録と騒がれました。ちなみに、ヌシは小学生でした。
当時は長さではなく、重さで決めていました、恐らく1m前後あったでしょう。おそらくヒラス仕掛け、道糸10号に7,8号のハリス。
昭和60年前後、米村さんが、ハリス2号で、確か7kオーバーを船着きで上げたんです。「どうしたら、2号ハリスで上がるんだ?」不思議に思っていました。

免許取りたての若造だったヌシは、式見の平瀬の離れで、ハリス3号、竿2号で5.3キロ76センチを取りました。
真鯛は瀬に走りません。3号ハリスで5kオーバーの真鯛が取れる。と確信した時です。

2000年に会社が倒産して、釣り具をすべて盗まれました。
先代の省ちゃんが「とりあえず出てこい。」との連絡があり、仕方なく5000円の竿を買い、ハリスは3号のみ、針は伊勢尼の9号のみ。うきは1個30円の発砲浮き。
時期は4月の始め。場所は船着き、2ヒロの棚で4.5kが釣れました。

2015年頃から、1.5号ハリスでクロを釣っていて「ウキが入った!」と思ったら針がない。
ならば年間通してハリス6号でやってみました。
動画で上げている真鯛、ヒラスは全てハリス6号。確か5k以上の真鯛を1年で5枚以上取っています。
写真が少ないのは新聞用に主に土井さんや釣り仲間が釣った事にしているから。

記憶に残っているのは2005年くらいにワンドでハリス2号で捕った7.5k
マンジュウで釣った9.3kは、リリースしようとしたらワンドから、「もらうから捨てないで!」

ヌシの真鯛釣りは足元、竿1本。瀬際に撒き餌を入れて竿下か竿1本先で棚は竿1本。(たまに竿2本。)


つづく…